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2012.10.13 毒ガス島
今日は、ちょっと早めに起床。
ユウスケさんを見送らなければ(o・_・)ノ”



ユウスケさんは昨日も紹介したとおり、斬新な斬り口を持つ男。
ちょっと、ものを見る目線が俺とは違う。
だから、とっても勉強になる。

彼は人との出会いを大切にする旅人さんで、今までにも多くの人と交流してきた模様。
行き先、ペースは出会った人が決めるといった感じで、
そこも、俺とは一味違う。

自分と違ったタイプの人からは沢山得るものがあって、やっぱり旅をしてよかったなぁと思った昨晩でした。



ユウスケさんは香川で待ち人あり
とのことだったので、早朝に出発していかれました。
また、どっかで会いたいですね。
お気をつけて(* ̄▽ ̄)ノ~~



よし。
俺はもう一眠り
したいところでしたが、
今日は昨日できなかった『毒ガス島』探検をしなければ
≡ヘ(* - -)ノ

とりあえず、フェリーに乗るために盛港へ。
フェリー出発は9時とのこと。
2時間程度、時間ができたので四国攻略の作戦会議。
なんか等高線を見る限り、四国は激坂多発地域の予感。ちょっと心してゆかないと、痛い目を見るかもですね。


そーして、二時間後フェリー乗船。
レッツゴー、
毒ガス島
毒ガス島へ
これが毒ガス島こと大久野島。
この島から、毒ガスが噴出しているわけではありません。

この島は、かつて旧日本陸軍の毒ガス製造拠点だったのです。

万が一のことがあっても、大都市が周辺にないことや、
小島であるがゆえ、情報が外に漏れにくく、使いやすかった点から、この島が選ばれたようです。

国際条約で毒ガスの製造、使用は禁止されていたため、
もちろん陸軍は、秘密下で毒ガスを製造しておりました。
そして、地図から大久野島を消していたことから、この島の存在自体を隠蔽していたようですね。

そのため、終戦後も我々一般市民は、日本が戦争で毒ガスを使ったなど知らなかったようですが、
実際には、かなりの量の毒ガスが製造、使用されていたようです。

この悲惨な事実をこの島は物語っていました。

発電所
まず、フェリーを降りるとすぐに行く事ができる、発電所跡。
雰囲気がかなり生々しく、廃墟感が怖い雰囲気をかもし出していたところでした。
重油で発電し、毒ガス製造に使用する電気をすべてここで発電していたようです。


次にいこうとすると、
自転車の周りには、
ウサ
ウサギΣ(゚д゚;)
なんでこんなところに、ウサギがおるんだ
と、考えていましたが、
こいつらは、ここが毒ガス製造の拠点だったことを証明する生き物だったのです。
というのも、毒ガスの性能を確かめるのに、何を使うのか
と考えた結果、必然的に動物が必要となってきますよね。

そして、動物実験の他にも、毒物が拡散していないかどうか確かめるための指標ともなっていたようです。
今でこそ、この大久野島は国民休暇村として若干リゾート化され、ウサギも人を集める人気名動物ですが
こいつらの真の存在価値は客引きとは、また違ったところにあったようです。


その後、毒ガス資料館で大久野島と毒ガスの歴史を勉強しました。
一番の印象に残っていることは、
戦争で大量に中国へ持ち出された毒ガス兵器が、今もなお中国の地中に大量に眠っていることです。
いくつか、深刻な被害も報告されており、その点では、尖閣の問題はまた別にして、日本は中国にある毒ガス兵器の回収をする義務があると思います。
戦争兵器は、何の平和ももたらさないのですね。


こっからは島巡り。
多くの建造物が当時のまま、さほど手を加えられること残っているので、生々しさというものを感じられ、
おそらく、ここでしかできない経験ができました。


製造した毒ガスを一時的にためておく、貯蔵庫です。
備蓄庫

砲台要塞の跡
中部砲台
毒ガス製造の前は、瀬戸内海を守るための要塞として、この島は意味をなしていました。
そのため、島の四方には大砲跡が残されているのです。

この上に大砲を設置します。
北部砲台


半日使って、この島の昔と今をしって今日もまたよい勉強となりました。



さて、次のフェリーで大三島に帰るぞ
と思っていましたが、また待ち時間が1時間。

しかし、この島にはもう一人旅人がおられました。
徒歩&公共交通機関で旅をするケンジさん。

様々な情報交換や旅話であっという間に時間経過。
ここで、今治に10円寿司というものがあるとの事だったので、
今治で待ち合わせして、一緒にその店へ行くことに。

大三島でしばしの別れで、
俺は、別の方から聞いた、380円海鮮丼を求め、フェリー乗り場の反対側にある
大漁
というお店へ。

380円

本当に380円海鮮丼は存在しました。
しかも、ご飯大盛りもサービスしてくれたよぉ"(/へ\*)"))

てか
旨すぎるぜ。
新鮮かつ、安い。
そして、お店の方は優しく、丁寧。
逆に申し訳なくなってきてしまう。

こんな店があると、またいつの日か、しまなみを通って大三島に行きたくなってしまう。

ユウスケさんも言ってたけど、その土地のお店がその土地の印象を決めてしまう。
そのとおりですね。


満たされたあとは、
伯方の塩の工場見学へ。

こんな島といっては失礼だか、こんなとこに工場なんかあるのかと思っていましたが、
かなり立派な製塩工場がありました。

そしてすべての工程をガラス越しではありますが、見学でき、
また一つ、知識がつきました。


勉強したら、、、
伯方の塩ソフト
伯方の塩ソフトでございます。
スイカに塩の原理と同様に、塩がソフトクリームの甘さ風味をひき立ててくれる。
そんな感じの絶妙ソフトでした。



場外には、昔の製塩方法である流下式塩田を復元したものが特別展示してありました。
濃縮
海水を竹にかけてくみ上げて、かけてくみ上げてを繰り返すうちに、徐々に水が蒸発し、塩分濃度が高くなる原理です。
現在の、イオン交換膜で塩化ナトリウムを析出させる方法では、海水中のカルシウム、カリウム、マグネシウム等のミネラルが得られないのに対し、
昔の方法であれば、不純物が混じっていて真っ白な塩にはならないけれども、栄養分豊富な塩ができるらしいです。
かつては山陽、瀬戸内海は流下式塩田で埋め尽くされるほど、塩作りが盛んであったが、
技術の進歩と、海外からの安定輸入で、いまは純国産品は0に等しいとの事。

塩で生計を立てられなくなった島民は外に出たり、若者は上京したりと、ここでも人口減少と平均年齢の高齢化が深刻な問題となっている模様。

大三島では、3年間島民になるという約束で家と田畑を無料で貸与える政策をおこなっていて、
若干ではあるが、それなりに人口増加の結果が出ているようだ。

そんな生活もいいですね。

島は時間の流れがゆっくりだから、みんなのんびり、穏やかに暮らしているんだよ

と島に住むおじいちゃんがいろいろと教えてくれました。


東京のように常に何かに追われている地域もあれば、こんなに穏やかな地域もある。
日本はやっぱり広くておもしろいです。



じーちゃんと話した後は、今治に渡るだけでしたが、
最後に激坂を登ってしまなみの絶景を堪能いたしました。
しまなみ海道 夕焼け
ただ、あまりにすばらしい景色だったために、メモリがなくなるまで写真を撮りまくり、いつの間にか真っ暗に
(; ̄ー ̄川

真っ暗×峠×激坂×毒ガスの悲惨な記憶
でとっても怖かったですが、無事に最後の橋を渡りきり、ケンジさんと合流。

10円寿司へ。
途中、傾いてる店を発見しましたがスルー。
斜め


到着。
入店。
おばあちゃん、おじいちゃん
爆睡中。
店の中
はっきりいって、汚すぎヽ`(~д~*)、
ハエが飛んでいる。

でもおばあちゃん、なんとか起きて、腰を曲げながら作ってくれた。
10円ずし
店の内装とは似合わないおいしさ。
25かん250円
確かに10円だ。

食べ終わって店を後にしようとすると、「ありがとーごぜぇーました。」
と、じーちゃんばーちゃん、そろって満面の笑みで送ってくれた。
たぶん、そんなに商売は成り立っていないけどお客さんを思って、大切にしているんだなという印象を受けました。
いつまで店がやっていけるかわからないけど、こーゆう店はいつまでもあってほしいと思います。


今日は、一眼のメモリのバックアップをとらないと、明日から写真が撮れないので、漫画喫茶で寝ます。
明日は東に進みます。
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