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不本意に眠らされる船、フェリー与那国。

通称、八重山のゲロ船。


出港前に、眠りにつけるかどうかが、その人の運命を決めます。





本日は、朝から日が出ていて、良い感じのスタート。

4日間、お世話になったゲストハウス、FIESTAに別れを告げ、出発。


ちょっと、早めに出発したから、遠回りして、
今までに通らなかった、南の海に沿った道へ。


そしたら、、、
野生牛!
野生の牛、

発見。


ここの島の放牧、自由すぎるぜ?

ふつーに、歩道、車道歩いてるし!



孤島だから逃げられないって?

それはどうかな(*´Д`)

ここまで自由だと、進化して、泳ぎ出す奴とかでてくんじゃねーの?



そして、
今まで、
牛という動物に、これといった印象はなかったのですが、

こいつら、マヂでコワイね。


牛ってでかいんですよ?

そんでもって、ツノなんか生えてるんですよ?
とんがったね。



そいつを、素の身のチャリで追い抜かすって、恐怖そのものですね。

突進されたら、ご臨終ですからね。



牛をオーバーテイクしてみたい方、与那国島へいらっしゃい。。




最果ての地にふさわしい道路ですな(*´∀`*)
南牧場


南牧場道




こーして、フェリーターミナル到着。

50分前には、ゲロ船に乗船。

そして、睡眠。


別に眠たくないんだけどね。。


ここで、対ゲロ船の戦闘方法を紹介しましょう。

①出港前に寝て、到着直前に起きる。


以上。

これ以外の行動をとった時点で、あなたは、この船の餌食になるのです。



こうして、石垣島に帰還。


そして、乗り換える。


高速船で波照間島へ。


波照間島は航路が荒れていて、ここのところ欠航が相次いだが、
今日は、大丈夫だったようだな


こうして、波照間島に到着したのが16時30分。


昼間はズーーーーと、
船移動でしたね。



波照間島は日本で最南端の有人島。

だから、一日で、日本の最西端から、最南端まで、移動してしまったというわけ。

今考えると、おそろしい移動ですね。




とりあえず、日も出てるうちに探検しますね。
西浜
西浜ビーチです。


西浜②



西の道路。
西道


西のサトウキビ。
西サトウキビ



なんか、ぷらっとしてたら、最南端の地に到着。
最南端


最南端に


最南端さん


日本の果ての感じがいいですね。




日没後は、天体観測。

今日も星が綺麗です。

一眼で撮った写真、また今度アップしますねー。



今日は、沖縄古民家を改装した宿に素泊まりです。


では、また明日。。
時は、昨日の夜、ブログ更新後、

ぷらっと、外に出てみたら、星が出ていました。

何となく眺めていたら、


上から下へ、右から左へ、
光が高速移動してるε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

UFOか!

北の人工衛星か!

いいや、タケちゃんマンか!


それとも……


流れ星ですね('∀`)


どうやら昨日は、ふたご座流星群だったようで、流れ星の流れ放題状態。

もってけ泥棒( ;゚Д゚)y─的なノリで次から次へと、流れてゆく星たち。


数十分眺めて、20個くらい、流れ星見れました。


与那国島って、凄いね。

日本の端は、星が美しいことがわかりました。


こんなに、のんびりと夜空を眺められるのもあと、少しなんだと思うと帰りたくなくなりますが、

その反面、もうそろそろ、故郷に帰りたくなってきた頃頃です。


これ以上旅しても、行くところ限られてるし、日本って今、冬だからね( ´∀`)


ちなみに、今日なんか、与那国島は25度以上あったようですね。

長袖じゃあ、かなり暑いです。

12月で半袖気候の南の島から、極寒の本州に帰るのが怖くなってきましたわ。





今日は、与那国島の後半戦とゆー事で、東の方に攻め入りました。

天気は晴れヽ(´ー`)ノ

もはや、雨予報の天気予報なんて、あてにする方が馬鹿みたいな、最近の沖縄です。




東の方は、何というか、とにかく大自然だね。

まさに、端って感じ。

説明する事もないので、
とりあえず、写真を御覧下さい。



まずは、与那国島最東端の東崎です。
東崎

東崎灯台

東崎。


道です。
東崎道一


東崎道②

東崎道③


展望台からの風景です。
展望台一

展望台②


立神岩です。
神立岩


道です。
与那国道


何となく、ジャングルに突入です。
与那国ジャングル


ジャングルを抜けると、展望台がありました。
ジャングル展望台


道です。
与那国道に


ナンタ浜です。
ナンタ浜

ナンタ浜に

ナンタ浜③

携帯写真では、なかなか伝わらないのですが、

この透明度、

そして、海の青色!

(*´Д`)

俺の中では、沖縄No.1かもです。

気になる方は、与那国島へgoε≡≡ヘ( ´Д`)ノ



こうして、午前中終了。


午後は?

堕落した佐藤選手ですが、今日は、実質的に与那国島最終日。
頑張ります。


頑張るとは言っても、どこに行くべ( ´∀`)?


そーだ!

京都に行こう。

的なノリで、民俗資料館へ再入館。


ここには、90歳のお祖母ちゃんがいらっしゃって、

一分前に、その話聞いたよ:(;゙゚'ω゚'):!

みたいに、
同じ事を何度も繰り返し語りかけてくる事は、
前記事でご紹介のとおりです。

簡単に言えば、ボケてますが、
こっちから質問すれば、その内容については的確に答えてくれますが、

いつからか、また、聞いたことのあるお話へと導かれているのです。


はっきり言って、俺は、お祖母ちゃんのリハビリをしている気分になりましたが、

知りたかった戦時中、戦後の与那国島について聞けたのが、今日の収穫です。


結果から言うと、与那国島は戦時中も、戦後も特に、生活レベルの変化はなく、食べ物には、全く困らなかったとのこと。

お祖母ちゃんは、戦争は恐ろしくて二度とやりたくないとも言っていましたが、
本人は、戦時中を生きたという自覚はなかったらしいですね。

ただ、まったくというのは嘘で、

山頂の通信基地だけは空爆を受け、本州に向かう米軍の飛行機が何度も上空を飛んでいった記憶は、お祖母ちゃんの頭にも残っていたようです。

もちろん、若い男は徴兵され、働き手不足にもなったようです。



こーして、話を聞くと、戦時中、日本で一番住みよいところと思うかもですが、


戦後、日本が復興し、経済、暮らしが豊かになる一方で、
与那国島は衰退の一途をたどったようです。


戦前は台湾との公益もあり、貿易の拠点としても、漁業の拠点としても
かなり栄えていた与那国島。

その暮らしは、那覇よりも良く、着るものも上等な和服なんかを着れたということで、
周りの島からは、羨ましいがられていたようです。

街も、沖縄の小京都のように栄えたとも言われています。


しかし、戦後になると、その環境は一変。

台湾との貿易はなくなり、漁獲量の減少によって、漁師が減り、
島にあった、鰹節工場は潰れ、ドンドンと人が少なくなっていきました。


今も、この島には高校がないので、子供ができたら移住というのが、一つの流れとなっているようです。

だから、滅多に若者の姿は目にすることはできません。


これは、他の島も一緒だが。。



この他にも、与那国島の生活様式なんかも詳しく教えていただき、

お祖母ちゃん五回くらい、さよならと言って、別れ、午後の部も終了。



今夜は、与那国島最後の晩餐。
島豆腐
食材はこいつ。

無類の豆腐好きの佐藤選手には、興味のある食材です。




ゲストハウスの、ドミトリーの部屋には、一人、来客があり、今日は、相部屋です。
原付きで日本一周している島根さんという方です。
pc環境あるところでリンク張るので宜しくお願いします。




明日は、石垣島に戻ります。
船があったら、波照間島に行きたいが、どーでしょうかね。

まずは、ゲロ船が時間通りに、石垣島に到着してくれることを願います。


では。

完全に、生活レベルが堕落している佐藤選手です。。

南の島ってのは、人を駄目にしますな( ´∀`)





8時頃、起床。

曇ってるから、また寝る。


もはや、この時点で人間失格だわ('∀`)

まず、起きる時間からして、島タイム。

そして、その時間から二度寝って、、、ダメですね~ヽ(´ー`)ノ



しかーし、9時前に、なんだか目の前が眩しくなったから、起きる。

なんと、何日ぶりかの日射しが、この与那国に降り注いでいるではないか!


晴れたら、行動するしかない!

ってわけで、堕落した佐藤選手も、流石にヤル気モード。

起きて5分で出発。




とりあえず、山を登りました。


山からは水が流れ出ていました。
山から水
昨日のお祖母ちゃんが言ってたとおり、水は豊富なようだ。


一応、頂上からの眺め。
与那国 眺め
ちょっと低いけど、良い感じの町だ。



与那国の道も、こんな感じ。
与那国 道
道は、他の離島と変わらないと思います。



山を超えて、南の海に出ると、Dr.コトー診療所がありました。
Dr.コトー診療所
ドラマを見た人は、見覚えがあるのかな?!
中に入りたかったけど、閉まってたわ。


そこまでのこだわりはないので、次に進ます。


与那国の田んぼ?かなぁ。
与那国 田んぼ
沖縄に入ってから、水田というものを初めて見ました。

この点は、与那国の独特の文化ですね。



ついに、到着。
日本最西端の地だねヽ(´ー`)ノ
最西端
これで、残るは南の果ての波照間島ですね。

ただ、ここ最近、波照間航路は大荒れで、もしかしたら行けないかもですね。。。



ここに至るまでの道では、こんなモノがたくさん落ちていた。
糞
どう見ても、糞だね。


でも、なんで道に?

それは、こーゆうことだね。
与那国牛
普通に放牧?

いや。

これは、もはや、野生だね。


牧場と道との境界線がないから、与那国馬は、完全にやりたい放題だ。

これが許されるのも与那国文化だね。


最西端の岬です。
最西端岬

最西端岬②



与那国は馬だけではありません。
立ったヤギ
立つヤギもおられます。


最西端の地ということは、、、
最後の夕日
夕日も、日本で最後に沈むんですね。

只今、12月の夜6時30分ですが、まだ、あたりが見渡せるくらい明るいです。



ただ、朝日は日本で一番遅いから、起きるのが遅くなるというわけですね(*´∀`*)



続いて、ダンヌ浜。
なんとか浜

なんとか浜②



馬鼻崎。
馬見崎

広い草原に、これまた、馬が放牧されております。

一つ気になったのですが、この馬はなんの為に飼育されているのでしょうか。

食肉用?
観賞用?

ちょっと、この後調べてみます。



馬見崎②
こんな草原がどこまでも続くかと思ったら、、

突然、陸がなくなり、
馬見崎③

崖と海が出現。
馬見崎④


与那国は、こんな崖が多くあります。
そして、海は荒々しいので、この点も他の島とは違うところですね。


この崖、一見して美しいとも思えますが、
悲しい出来事もありました。


時は江戸時代。

琉球は、薩摩藩の支配下にあって、かなりきつい税を課せられていたそうです。

本島は、そんな重い税を離島に負担させようとして、「人頭税」というものを課しました。

人頭税というのは、簡単に言えば、土地の広さ、良し悪しに関わらず、人の数で税の量を決めるといったものです。

これは、与那国も例外なく課されました。

その結果、島では、何が起きたかというと、

人口を減らすことが決定されました。

つまり、妊婦、幼子をこのような崖から落とし、人口を減らしたようです。


とても、悲しい嘘のような話ですが、実際にあった事なので、考えものですね。





今では、平和にのんびり暮らしている与那国島だと思われていますが、

こんな事が問題のようです。
自衛隊反対

自衛隊賛成

自衛隊の誘致問題か。

この問題は、確かに賛否両論わかれますね。

離島というのは、平和そうに見えて、案外難しい土地なのかもですね。



これで、与那国の西側は制覇です。

いつもの勢いなら、ぱぱっと東も行っちゃうところですが、
なんて言っても、今の佐藤選手は堕落しています。
雲で、お日様も隠れたので、

本日終了。


明日は、また奇跡的に晴れるといいな。
過ごし方①
とゆー事は、、、
②もあるんじゃないかなぁ~?( ;∀;)



はい。
与那国島二日目。
本日も嵐ですね~。


風、雨、風、波、
凄かったですよ。


しかーし、これ以上に凄いことが起きたんですねぇ。


そうです!

飛んできたんです!


北から!


そして!


通ったんです!


俺の頭上を!


ミサイルが(*´∀`*)


いやぁ~

怖かったねぇ~。


朝、飯を食おうとしたら、いきなり、警報が:(;゙゚'ω゚'):

空襲だーε≡≡ヘ( ´Д`)ノ逃げろー!

的な、町内放送が。

そして、一分後、各局で臨時ニュース始まる。


報道にびっくり。

与那国の上空を通るってヽ(´ー`)ノ



十分注意しろって言われても、

逃げ場のない、孤島で何をしろというのだ?


何もできないよ?


ただ、ひたすら、ここに落ちないよーに祈るだけ。


結果的には、数分のうちに通過しちゃったけど、

まさか、このタイミングで撃ってくるとはねぇ。


あとからの報道で、まさに、佐藤選手の頭上通ったってゆーから、

なんか、貴重な体験させていただきました。



ミサイル通過後、自衛隊さんが街を徘徊。

ミサイルの破片が落ちていないか確かめていたようである。


とまぁ、午前中はこんな感じであります。




午後は?

雨が上がるまで、Dr.コトーを読みました。

与那国島は、Dr.コトーのドラマのロケ地で、今も撮影に使った診療所が残っているので、
晴れたら行ってみますね。


Dr.コトー診療所は、原作も、ドラマも見たことがなく、
本日、初めて内容を知リましたが、
離島医療の事がわかる、面白い作品だなと思いました。
ただ、フィクションが強いので、現実とは若干違うところもありますが、
離島問題なんかの内容も含んでいて、しっかりした内容でした。




その後、
雨が弱くなったので、街散策をする事に。

唯一の店
町唯一の商店です。

本島、本土のスーパーに比べると、べらぼうな価格設定です。
物によっては、3倍くらいするものもあります。

島価格ってやつですね。

品揃えも、日持ちのするものが多く、
野菜、肉、パンは、ほぼなくて、俺の大好きなチョコレートも無いんですわぁ
。・゚・(ノ∀`)・゚・。

俺、この島では生きられそうにありません。



そこで、ここで暮らしてる人の声が聞きたくなり、民俗資料館へ行ってみました。

ここにいる90歳のお祖母ちゃんがまた、
たくさん喋ってくれるんだこれが( ´∀`)

前もって、その情報も仕入れていたので、想定内だったけど、

これが、また、同じ事を何度も喋るんだよ。うん。


でも、結構な情報を得ることが出来た。

与那国島の風土、暮らし方、家の造り、民族、方言。


お祖母ちゃんが終始、強調してたことは、
・小学校の時に、方言札という物で、強制的に標準語を覚えさせられたが、そのお陰で日本全国の人と話すことができるようになって、今では大変感謝してるって事

・与那国島は一昔前まで、最果ての地という事で馬鹿にされて、恥ずかしかったこと

・南の端で産まれたから、北の端に行く事が夢で、終戦後、飛行機という物に乗ることができて、北海道に行く事ができて、とてつもなく嬉しかったということ

の三点を、何度も、何度も語りかけてくれた。


あと、初めて知ったこととしては、与那国島はかなり過ごしやすいって事。

沖縄は、水不足が頻繁で、水が生命線だって言うことはご存知の通りだが、

ここ、与那国島は、水には全く苦労なく、どこを掘っても井戸になったそうだ。

そして、温暖な気候から、田んぼでは年に三回も収穫があり、黒潮にのってくる魚で、
漁業も、大漁続き。

暮らすのには、なんの不自由もないんだって。



意外でした。


明日も雨なので、、お祖母ちゃんのところに行って、もっと与那国島について教えてもらいます。
戦後の与那国島が若干気になります。


では。
2012.12.11 西端へ


ゲロ船の破壊力は凄いです。





今日は、ついに、日本の西の果て、与那国島へ上陸いたしました。


天気?


嵐ですが、( ´Д`)なにか?


海ですか?


大時化ですけど( ´Д`)なにか?



与那国島へ向かうフェリーは、石垣島から週に2便。

先週まで、この船はドックに入っていたので乗船できず、
そして、この次の便だと、本島へ戻る飛行機に間に合わない。

よって、与那国島へ行くには、今日しかなかった訳です。


もともと、フェリー与那国は、ゲロ船として、その名を轟かしていて、
佐藤選手は、その情報を耳にしていたのですが、


なんせ、跳ぶ船に乗ったこともある、佐藤選手は、気にしませんでした。



という訳で、やられました。

そんなに重症ではなかったのですが、周りの人は瀕死していました。


最もエグいのは、高波が来た時のエンジン停止。。

これ酷いです。


通常4時間の航海が、今回は、5時間半くらいかかりました。


俺は、途中から寝ましたが、夢の中では絶えず、右へ左へ揺れておりました( ´∀`)



まぁなんとか、下船したら、

今度は、豪雨。
フェリー与那国


ゲリラ豪雨というやつか?

亜熱帯性気候恐ろしい。



ずぶ濡れで、ゲスト到着。

その後、40日間連泊したという、じーさんが
明日、このゲストハウスを旅立つというわけで、最後の晩餐。
濃いメンバー

このゲストハウス、キャラが濃い。濃すぎる。

頑張ります。




とゆー訳で、本日から4日間、与那国島へ滞在です。
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